コンサルタント紹介

人格形成に於けるダビスタと野球の相関性について

ゲロやばな内容を何とかタイトルでごまかそうとした結果、こうなりました。
反省してます。

さて私は1987年、福島県福島市の市街化調整区域に囲まれた田舎に生まれました。
公務員の父、専業主婦の母、のちに銀行員になる4つ下の妹という4人家族です。
私を知る人は大体このバックグラウンドで驚かれますが、ど田舎でぬくぬくと育ちました。


小学3年生からリトルリーグで硬式野球を始めました。
周りの子のレベルは高く、みんなプロ野球選手になりたい!と声高に宣言していましたが、
当時の私は身体が小さく痩せていた(今は真逆ですが)ため、ボールが内野の頭を超すことは稀でした。
守備はできたため、試合では使って貰えてたのですが、子供ながらに「上で活躍するのは無理だな」と感じていました。
ただ野球自体を考えることは好きで、スコアを付けたり、みんなの打率を出して、
そのころちょうど出始めたパワプロのステイタスに照らし合わせて伝える(例:○○君はACBBAだね!)みたいなことをやって喜ばれてました。
ちなみに私のステイタスは「パワーF、ミートカーソルB、守備B、走力C、肩力C」くらいなもんだったと記憶してます。
これはどうやってもクリーンナップは打てませんね(笑)
プレイヤーとしての資質はあまりなかったと思いますが、それなりに必要とされてましたし、嫌な思い出はないんですよね。
 

そして同時期に私は後の人格形成に大きな影響を及ぼす、あるゲームとめぐり逢います。
そう「ダービースタリオン」です。
元々父が競馬好きで、福島競馬場が近かったことから、内馬場で遊んだりということはよくあったのですが、今の私の原型を作ったきっかけは間違いなくダビスタでした。
ダビスタの話を始めるとそれだけでブログが10話くらい進んでしまうのですが、このゲームはやりこみ要素が異常に高く、乱数という名の確率計算やインブリードと言われる血量の要素など、知識を必要とするゲームでした。
何でハマったかは全然覚えてないのですが、強い馬を生産するためには「勉強」をしなくてはいけません。
当時の私は学校の勉強を一所懸命にやった記憶はありませんでしたが、ダビスタに対しての熱量は圧倒的に高く、
攻略本や「サラブレ」、「ダービーを一生遊ぶ」など競馬雑誌へ資本(お小遣い)をつぎ込む生活が始まりました。
私はこのゲームにのめりこんだ結果、毎日ゲーム内で生産した馬に「ダート・単走・強め」の調教を繰り返すだけのゲロやば小学生に仕上がりました。
みんなが「ポケモン」「遊戯王」「ドラゴンボール」など王道路線に進む中、資本と自由時間の選択と集中を「ダビスタ」に行ったため、クラスではしっかり浮いてました。


これと決めた分野には非常にのめり込む性格が醸成されたのはきっとこの頃からで、「これまで知らなかった知識を得ることは楽しい」という実感を持ったのもこの頃だったと思います。

一方で現実的な考え方もこの頃から持ち合わせていて、小学生の卒業文集の将来の夢は「競馬の騎手。狭き門なのでダメだった場合はサンケイスポーツの競馬記者」と第二志望まで挙げる少年でした。(父が土日になると必ずサンケイスポーツを買って競馬予想をしていたため)
繰り返しますが、クラスではしっかり浮いてました。
 

というわけで、当時はそう思ってなかったと思いますが、小学校時代の学びは
・そもそも身体能力の限界はあるし、向き不向きはある。そして自分を活かせる場所は探せばある。(野球)
・知らないことを知ることが面白いという実感。知識が対価(強い馬の生産)に代わる嬉しさ(ダビスタ)

でしょうか。
 

振り返ってみるともう大体今の自分に近い気がします。
こんな感じで私自身が「平凡な小学生」から急に「クラスの変わり者」になった話は今の自身の人格形成に大きく影響を与えています。

尚、面談では学生時代のことも聞きますが、こんな細かく聞きませんし、そんなエピソードなくても全然大丈夫ですので、安心してください(笑)
あくまで根っこを知るのに、過去の振り返りは大事だと思うとお伝えしたいだけです。

次回は学生時代後編を書いていきたいと思います。
まだまだナカジツやMUSUBUのビジネスの話するまでは長い道のり・・・
ではまた!

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